成海大学のキャンパスを訪れるのは一年ぶりのことである。平原卓巳は少し憂鬱だった。できれば知った顔には出くわしたくない。
三年前の夏に長野県の山道を走るバスの中で恐怖の体験をしたときには、研究が進展することを期待していた。検証ができていない以上、霊の存在を妄信することはできないが、少なくとも感覚的には確信することができた。あとは検証を積み重ねればいいだけだと思っていた。
ところが、その後は全く検証の機会が得られず、研究は頓挫した。理論に基づいて様々な検知器を何台も試作したが、何かを検知することはあってもそれが霊であるかどうかの判別ができず、霊の存在の証明にはなり得なかった。
大学側の忍耐にも限度があった。研究費用ばかりかさんで成果は全くあがってこない。もともと卓巳が心霊物理学なるものを始めたときから既に誰もが胡散臭く思っていたので、いくら過去に功績があったとしても見限って当然なのかもしれなかった。そして一年程前に、卓巳はとうとうクビになってしまった。
「先生、ここ、ここ」
「この下に出るんだって」
大学の狭い中庭の真ん中あたりにぽつんと一本だけある満開の桜の木の下で、柴田沙織と遠藤裕香が手招きをしている。この二人の噂話には散々振り回されてきたが、よもや成海大学に連れてこられようとは思ってもみなかった。
この中庭は建物を無計画に建てていったらできてしまったというような中途半端な空間で、あまり手入れもされていない。建物同士は別の所に設けられた通路で行き来ができるため、人が通ることも稀だった。知り合いに会いたくない卓巳にとっては好都合ではあるのだが。
沙織と裕香が今回持ってきた噂話は、夜になるとこの中庭の桜の木の下に女の霊が出るというものだった。
「先生。ここの桜、異常に赤いでしょ。桜の花が赤いのは根元に死体が埋まってるからだって話、知ってる?」
「ああ。聞いたこと、あるな」
「その女が埋まってるんじゃない?」
じつに短絡的な考えだと卓巳は思った。確かに桜は赤っぽく見える。けれどもそれは建物に囲まれた薄暗い中庭の光加減のせいとも思える微妙な感じだ。
「じゃあ先生、夜までその辺のファミレスとかで時間を潰そ」
いきなり沙織が満面の笑みで当然のことのように言いだした。勿論、おごらせる気満々である。
「ちょっとまて、ちょっとまて。始業式の日早々にかよ」
二人の話はいつも急ではあるのだが、遅くとも計画の前日には話を持ってきた。当日に言いだすとは、じつに迷惑な話だ。
「急に言われたってビデオ持ってきてないぞ」
「大丈夫。物理準備室から勝手に持ってきたから」
沙織に促されて裕香が申し訳なさそうにカバンからビデオカメラを出して見せた。
「・・・。それにしたって当日はないだろ。僕に予定があったらどうするんだよ」
「ないわよ、そんなもん」
その通りではあるのだが、沙織にそんなに自信満々に言われると、さすがに卓巳も腹が立つ。
「そういう問題じゃなくて、常識の問題だよ。前もって話をして相手の了承を得る。そういったちゃんとした手続きを踏むのが大人の世界なんだよ。今のうちにそういう常識を身につけておかないと将来困ることになる。君たちの為に言ってるんだ。だいたい学校や親には了承を得たのか。だまって来てたら心配するぞ。明日の夜だってよかったんじゃないのか?」
沙織は膨れた。
「あーあー、もう。理屈っぽいなあ。明日なんて嫌よ。噂を聞いたの、先月よ。もう待てないもん。ほんと新学期が待ち遠しかったんだから。それに親にならとっくに言ってあるから大丈夫。生徒会と学校には今朝のうちに活動企画書と時間外活動申請書を出して承認はもらってるわ。大学にだって昨日のうちに許可はもらってあるもん。問題ないでしょ」
憎たらしいほど手際がいい。
「だったら、なんで僕の許可は得なかったんだ」
「先生はいいの」
沙織は「そんな水くさい仲じゃないでしょ」と言わんばかりに甘えた顔をした。
成海大学をクビになってから、元同僚の口利きで県立鎌ヶ井高校の物理教師として勤め始めたのが一年前。たまたま先任の物理教師が心霊研究会の顧問をやっており、物理準備室が心霊研究会の同好会室だったために、後任の卓巳がそのまま顧問を引き継いだ。
「心霊物理学の先生ですから、うってつけじゃあないですか」
とは教頭の言葉である。それで大学をクビになった、といういきさつを知った上での言葉なのだから、全くもって無神経だ。おまけにお喋りで、卓巳の事情など知らない教師のほうが多かった筈なのに、すぐに広まってしまった。おかげで卓巳は異質なものでも見るような目で見られ、教師の中で浮いている。それ故に、担任を持っていなかった卓巳は職員室にいるよりも物理準備室にいることのほうが多かった。
卓巳が顧問になった心霊研究会は発足十二年目の同好会だが、現会員は少ない。沙織と裕香を含めた二年生が数名だけである。数名というのは卓巳が人数を正確に把握していないからで、三月に卒業していった前会長によると、籍を置いているだけなら現三年生にも会員はいるらしい。ただ心霊研究会は兼部がOKなので顔を出さなくても誰も気にしない。気が向いた時だけ活動に参加する者や、また会員でもないのに出入りしている者までいるため人数が把握できないのは当然だった。人数が少ないと愛好会に格下げになってしまい、生徒会からの予算が出ない。弱小同好会が格下げにならないための、それが戦略なのかもしれなかった。
今回のような噂話の検証は活動の一環だが、この一年、霊に出会ったことなど一度も無い。もっとも、それ以前にもほとんどなかったらしい。それが心霊研究会を弱小同好会にしている原因だろう。霊の検証ができずに大学をクビになった卓巳には身につまされる話だ。ところが、前会長の話によると発足当初は盛り上がっていたらしい。なんでも発足した初代会長が霊能者だったという。記録が残っていないので本当かどうか怪しいものだが。
大学の中庭の桜の木を確認した卓巳たちは、夜を待つため近くのファミリーレストランへ移動する事になった。
「さ、行くか」
そう言って歩き出したところで、卓巳にとってはいちばん会いたくない人物に出くわしてしまった。
「おや、珍しい人がいるね」
物理学部の宮前教授だ。
「あ、教授。お久しぶりです」
卓巳は動揺を隠すように自然に挨拶をした。沙織たち生徒は卓巳の事情を知らない。
宮前教授は沙織と裕香をちらりと見ると言った。
「何か用かね。高校のお嬢さん達を連れて」
「いや、ちょっと・・・」
卓巳が言いかけたところで沙織が口を挟んだ。
「桜を見にきたんです。桜。この木の下に幽霊が出るって噂があるんですけど、本当ですか?見たことありますか?」
余計なことを、と卓巳は思ったが、案の定、宮前教授は哀れむような目をしている。
「なんだね、平原君。君はまだそんな事をしているのかね」
卓巳は苦笑いするしかない。
宮前教授は明らかに嘲笑っている。そして桜の花を仰ぎ見た。
「平原君。君はまるで桜のようだね」
卓巳も桜を仰ぎ見て訊いた。
「桜、ですか?」
「六年ほど前の君の論文は素晴らしかった。注目もされていたし、私だって君に期待していたんだ」
「ありがとうございます」
「礼なんていいよ。期待を裏切られたんだから」
「・・・・・・」
「満開のときは沢山の人が集まってくるけれど、桜は散ったら誰も気にしなくなる。悲しいもんだな」
卓巳は下を向いた。目に見えるような大きな成果が出せなかった以上、宮前教授の言うことはもっともな話だ。
「まあ、せいぜい頑張りたまえ」
そう言うと、宮前教授は去っていった。
「なんか怖い感じの人」
裕香が宮前教授の後姿を見送りながら言うと、沙織はしかめっ面で言い換えた。
「怖いというより、なんかヤな感じ。先生、あの人嫌いでしょ」
「そ、そんなことはないよ」
どもってしまったらバレバレだ。
「嘘つき」
バレバレだ。
卓巳は再び桜を仰ぎ見た。
「桜は散ったら誰も気にしなくなる、か」
上手いことを言う、と卓巳は思った。
一夜目 桜の木の下で (一)
コメント
初めまして^^ 空風(そらかぜ)と言います
小説…一夜目 桜の木の下で (一)だけ読んでみました
先が読めなくてワクワクしています
また今度、ゆっくりと読まさせてもらいます^^
> 空風さん
こんにちは。
コメント、ありがとうございます。
どうぞ、ゆっくりお楽しみください。
- 2008/07/25(金) 13:51:10 |
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