墓場でデート

幽霊話日月抄

二夜目 もうひとりの自分 (五)

 確信犯だと卓巳は思った。いや、こういった場合に「確信犯」という言葉が一般的には多く使われているが、本来「確信犯」とは宗教的、政治的信念に基づいて正しいのだと確信して法をやぶる犯罪者の事で、沙織にそんな信念はない。ただし卓巳の財布の紐が緩いという確信だけは、腹の立つことに有るようだ。
「ごちそうさまでーす」
 沙織は満面の笑みだ。
「すみません。ごちそうになります」
 舞は表情がよくわからない。
「お相伴にあずかりまーす。ごっつぁんです、親方」
 裕香は性格がよくわからない。
 新成海駅前で十二時に集合と沙織が言いだしたとき、卓巳には嫌な予感があった。というよりは覚悟していたと言ったほうが正確かもしれない。待ち合わせの直後に沙織に昼食をおごらされる、このパターンは何度か記憶にある。
 裕香が言った。
「先生は相変わらず、こじゃれたもの食べてるね」
「なんだ、こじゃれたって」
「でも、それしか食べないの?」
 卓巳はスパゲティ・ジェノヴェーゼのスモールサイズを食べていた。
「朝ごはんが遅かったから、お腹すいてないんだよ」
 嘘である。昨晩は新任者歓迎会の会費を払い、今日は生徒3人にご馳走したら正直つらい。スモールサイズはサービス価格なのだ。それなのに沙織は遠慮なくデザートまで食べた。チョコレートパフェをほおばりながら、沙織は言った。
「裕香は食べないの?」
「ちょっとお腹のお肉が気になっちゃって」
 裕香はお腹を手のひらで二回叩き、いい音を立てた。
「舞ちゃんは?」
「もう、お腹いっぱいです」
 舞はお腹にそっと手を当てた。
「先生は甘いもの、あんまり食べないもんね。コーヒーばっかりで」
「まあな」
 卓巳は裕香と舞がデザートを頼まなかった事を心の底から感謝した。
 2組の島田さんに聞いて村田慎二の先輩の家はわかっていた。中学時代の先輩だったので、村田慎二の家と同じく新成海駅から歩いて行ける所だ。
 その先輩の家はすぐに見つかった。呼び出すと、運よく本人が家にいた。さっそく卓巳は村田慎二のドッペルゲンガー体験について訊いてみた。すると先輩は少し考えてから静かに言った。
「不謹慎だとはお感じになりませんか。俺にとってはかわいい後輩だったんです。そいつが死んで、俺だってものすごく悲しいんですよ。それなのに、わざわざ訪ねてくるからどんなに大事な話かと思えば、ドッペルゲンガー?いい大人が何を訊きにきてるんですか。お帰りください」
 卓巳は家に入りかけた先輩を慌てて呼び止めた。
「一つだけ教えてください。慎二さんが頻繁に偏頭痛を訴えていたとか、頭に関する事で病院に通っていたとか、そういった話を聞いた事はありませんか?」
 先輩は立ち止まり、振り向いた。
「確かに慎二は頭痛持ちで、ちょっとひどいんで薬も持ち歩いてました。でもね、バイクで走ってるときに症状が出たのが事故の原因じゃないかなんて、警察ではとっくに考えてますよ。興味本位で探偵気取りのあなた達に話す事なんて、何もありませんね」
 そして少し強めに「さようなら」と言うと、先輩は家に入ってしまった。
「帰ろう」
 卓巳が歩き出すと、沙織が追いかけてきて言った。
「ちょっと待ってよ。頭痛とか何とかって、どういうこと?」
「聞いただろ。バイク事故は、たぶん頭痛のせいだよ」
「そうだとしても、ドッペルゲンガーの事はまだ何も聞いてないじゃない」
 卓巳は立ち止まり、沙織を見た。
「これ以上、何を聞くんだ?彼が言ってたじゃないか。不謹慎だって。もっともな話だ」
「そうかもしれないけど、何もそんな怖い顔で言わなくてもいいじゃない」
 自分でも気付かないうちに、卓巳は怖い顔をしていた。沙織に言われて卓巳は微笑んだが、目だけは笑っていなかった。それでも沙織は続けた。
「だって知りたかったのは事故のことじゃなくて、ドッペルゲンガーの方だもん。心霊研究会がそれを探求して何が悪いの?いたって真剣よ」
「一般の人は、そうは思わない」
 成海大学時代に苦い経験をしている卓巳には、そんな事はわかっているつもりだった。けれども一年以上が経って、すっかり忘れてしまっていたようだ。先輩の「いい大人が何を訊きにきてるのか」という言葉が卓巳の頭から離れなかった。
 再び歩きだした卓巳を追いかけながら、沙織は言った。
「じゃあ、どうすればいいのよ」
「この件は、もう終わりにしよう」
「嫌よ。中途半端じゃない」
「いつも中途半端じゃないか」
「いつもは現場に行ってるのに現れないんだから諦めもつくじゃない。それにドッペルゲンガーなんて初めてだもん。もったいないじゃない」
「君はドッペルゲンガー、ドッペルゲンガーって言うけど、ドッペルゲンガーって何だかわかってるのか?」
「馬鹿にしないでよ。自分と会っちゃう心霊現象でしょ。会ったら死んじゃうって言われてる」
「それから?」
「それからって、それだけよ」
 曲がりなりにも心霊研究会という名前なんだから、噂集めばかりしてないでもっと研究しておけよと卓巳は思う。
「ちょっと、そこ寄るぞ」
 卓巳は前方に見えてきた駅前のコーヒースタンドを指差した。財布の中は寒々しいが、飲み物ぐらいなら致し方ない。
 飲み物を購入して全員テーブルに着くと、卓巳は話しはじめた。
「ドッペルゲンガーっていうのはな、いろいろな似たような現象の総称でな、『自分が客観的に自分を認識する』現象と、『第三者が本人とは別の場所で本人らしきものと遭遇する』現象と、大きく二種類に分類されるんだ。また現象だけじゃなく、その対象自体をドッペルゲンガーと呼ぶ事もある。原因についてはいろいろな仮説が立てられていて、心霊現象ってだけじゃない。ただの錯覚だったり、オートスコピーっていう医学的症状だと言われていたり、仮に心霊現象だとしても考え方はたくさんある。確かに現象に遭って死んだ例もあるけど、必ず死ぬとも限らない」
 卓巳が成海大学にいたころは、ドッペルゲンガーについても当然のように研究していた。事例や体験談も集められるだけ集めたし、それぞれを現象の違いや考え得る仮説を元に細かく分類した。
 事例や体験談は様々なパターンが存在する。たいていはドッペルゲンガーの対象は何もしゃべらない。けれども長々と話をしたという例もある。はっきりと一人の人間の形をしていた場合もあるし、部分的だった、白黒だった、透けていた、影だった、歳をとった自分だった、子供の自分だった、服が違った、裸だったなど、証言は多様だ。気配だけとか、声だけとかの場合もある。
 面白いのは「自分が客観的に自分を認識する」場合、どんな形であろうとそれが自分であると本人が確信して疑わないこと。たとえドアの隙間から目しか覗いていなかったとしても、自分が覗いているんだと思い込んでしまうのである。
 医学の世界では脳腫瘍による圧迫や偏頭痛が発生する際の血流の異常などが脳の側頭葉と頭頂葉の境界にあるボディーイメージを司る領域で起こり、自分の体の形や大きさを正しく認識できず、実際の肉体とは別の物として認識されてしまい起こる症状とされている。
 このような医学的な説明は「第三者が本人とは別の場所で本人らしきものと遭遇する」例には当てはまらないが、個人を識別して記憶する脳のメカニズムについての学説を使い、それを説明する研究者がいる。
 例えば二人の人間を実際に並べて比較したりするとはっきり別人として認識できるのに、対象が一人でいると区別のつかない場合がある。これは顔ニューロンによる識別はできているのに、記憶する際に顔に有るその個人を特定できる特徴、言ってみれば符号のようなもののみを記憶しているために、二人の符号が偶然一致してしまい起きている。つまり「第三者が本人とは別の場所で本人らしきものと遭遇する」のは、本人と符号が一致してしまう別人がいるからだという。要はその本人をありがちな符号で識別していたために他人の符号と一致しやすく、識別ミスを起こしただけだという仮説だ。テレビを見ていて、出演している芸能人をムードや体型が似ているというだけで、顔の似てもいない全く別の芸能人と勘違いしていたなんて事は珍しい話ではない。
 卓巳は多くの事例で医学的説明や識別ミスの説明が当てはまるだろうと考えていたが、分類の段階でどうしても当てはまらない事例が存在する。例えば、まさか自分の夫を識別ミスなどするはずのない妻が、昼時に街で夫とばったり会って一緒に食事をし、仕事に戻ると言う夫と別れて家に帰ってくると、午前中に具合が悪くて帰ってきたという夫が寝ていて、妻と食事をした覚えなど無いという。ひねくれた見方をすれば、その証言には人間臭い裏があるとも考えられるが、そういった例はそれ一例ではない。意外と多いのだ。不確かではあるが心霊現象という前提を持ち出せば仮説を立てやすくなる。
 心霊現象が前提なら、幽体離脱説から生き霊説から憑依説から霊のへんげ説から、様々な仮説が立てられる。卓巳の専門外ではあるがSFの世界にまで枠を拡げれば、時間移動説、超能力説、クローン人間説、アンドロイド説や宇宙人説なんていうものまで世の中には存在する。
「先生、なんでそんなに詳しいの?」
 ひと講義が終わったところで沙織が訊いた。卓巳はできれば大学の話を避けたい。
「テレビでやってたんだよ」
「へー。意外とマニアックな番組見るんだね、先生」
 マニアックな同好会の会長に言われたくない。
「とにかく、慎二さんが脳に何かしらの病気を持っていたなら、彼が体験したドッペルゲンガーはその症状の一つと考えるのが最も自然だ。事故現場にドッペルゲンガーが現れたなんて話も、まんざらデタラメじゃないのかもしれない。だから、もう充分だろ」
「んー、そんなオチじゃつまんないけど、筋は通ってるなぁ」
 沙織が本当につまらなそうに言うと、裕香が笑顔で言った。
「ぐうの音も出ないね」
「ははは」
 卓巳は笑ったが、作り笑いだということを舞は敏感に察していた。




テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

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