土曜日の夜、鎌ヶ井駅近くの居酒屋の広い座敷で新任者歓迎会は行われていたが、やっぱり来なければよかったと卓巳は後悔しはじめていた。期待が見事に裏切られたからだ。
始まってから一時間も経つと酒がだいぶ回ってきて、座はますます盛り上がっていた。けれども卓巳だけは隅の席で一人ぽつんと飲んでいた。
卓巳が赴任してきたばかりの頃は、飲み会などについでのように声をかけられる事はたまにあったが、あからさまに「仕方なく声をかけている」感じなので卓巳も行く気になれず、適当に断ってきた。そうしているうちに誘われることはなくなった。
それでも忘年会や新年会のような全体の集まりでは必ず声をかけられたが、出席したところで浮いてしまうのは目に見えていたので欠席してきた。
それが最近では他の教師たちの卓巳に対する態度が好意的になっていたし、お酒の席なら少しは溶け込む事ができるかと期待して出席したのだ。ところが予想に反して、と言うよりも、やはり思ったとおりと言うべきか、卓巳は完全に浮いていた。もちろん自分にも責任はある。それは卓巳自身わかっているのだが、どうしようもない。
会が始まってすぐは、例の桜の木の下の死体遺棄事件の話を興味津々に訊いてきた周りの教師たちも、すぐに飽きてしまったようだ。それはそうである。幽霊話はしなかったし、事件そのものはそう面白い話でもない。
まもなく男性教師たちの話題はパチンコの新台についてに変わり、女性教師たちの話題は周囲や芸能人の噂話に変わった。そのあと男性教師たちは野球、マージャン、競馬、サッカーといった、卓巳には全く興味の無い、また知識が全く無くて入っていけない話題のフルコースになった。なぜこんなにも画一的なのかと卓巳が首を傾げるほど、卓巳以外のほとんどの男性教師がそれらの話題に参加して盛り上がっていた。それに対して女性教師たちはと言うと、噂話に加えてファッションや恋愛の話がほとんどだった。
また、そういった浮ついた話題に参加していない男性や女性の教師たちも少しはいたが、よく聴くと熱血教育論を戦わせているようだ。巻き込まれるのはご免だった。
「飲んでますかー。平原せーんせ」
いきなり誰かが卓巳の腕を抱え込んだ。二の腕の辺りに丸く柔らかい物が当たっている。岩崎亜矢子だった。
「い、いただいてます」
「あれー?グラス、空じゃないですか。何を飲んでたんですか?」
「マティーニを」
「同じのでいいですか?」
「はあ」
「店員さーん!」
岩崎は身体を乗り出して店員を呼び、マティーニを頼んだ。ますます岩崎の胸が卓巳の腕に押し付けられる。けっこう豊かな胸である。
岩崎はずいぶん酔っていた。
「ちゃんと食べてますか?おつまみ無いじゃないですかぁ」
「大丈夫です」
そう言っているのに、岩崎は卓巳の取り皿を取ると隣のテーブルからつまみをみつくろって山に盛り、身を寄せて皿を卓巳の前に置いた。胸が腕に当たっている。
「平原先生は、お食事はいつもどうしているんですかぁ?」
「昼以外は全部外食です」
「昼は?」
「コンビニ弁当か、カップめんか、たまに店屋物です」
「あら、良くないわ。インスタントや外食ばかりじゃ栄養偏るもの。手作りのものを食べなくちゃ」
岩崎はさらに身体を寄せてきた。胸が当たっている。
「作るの面倒なんです」
「作ってくれる人、いないんですかぁ?」
胸が当たっている。
「いませんよ。そんな人」
「へー、そうなんだぁ。しょうがないなぁ。じゃあ、今度わたしが作ってあげますよ」
胸が当たっている。
「いや、いいですよ」
「むっ。わたしじゃ不満ですかぁ?」
胸が当たっている。
「いえ、そういうわけじゃなくって・・・」
「ねぇ。平原先生って、どんな女性が好みなんですかぁ?」
岩崎が甘ったるい声でしなだれかかってきた。もう胸が当たっているなんてもんじゃない。
「そんな事より岩崎先生」
「なんですかぁ?」
「さっきから、あの・・・胸が当たってるんですが・・・」
「え、なに?」
「胸です。岩崎先生の胸が僕の腕に当たってます」
岩崎は自分の胸をちょっと見てから卓巳に悪戯っぽい笑顔を向けた。
「あーっ。平原先生のえっちぃ」
そう言いつつ離れようとしない。それどころか余計に身体を密着させてくる。
「えっ、そういうんじゃなくて、あの・・・」
「平原先生ってやっぱりあれですかぁ?胸とかっておっきいのが好きなんですかぁ」
「いえ、とんでもない。僕は小さいのが好きなんです」
言ってから卓巳はしまったと思った。
岩崎はしばらく呆けた顔で卓巳を見つめていたが、にっこり笑って言った。
「わかりました、平原先生。わたし、がんばります」
(えっ、いったい何を?)
岩崎は離れない。おまけに、いつの間にか卓巳のマティーニを飲んでいた。



