墓場でデート

幽霊話日月抄

二夜目 もうひとりの自分 (二)

 物理準備室には舞がいた。卓巳が入ってきていつもの椅子に座ると、舞は慣れた手つきで卓巳にコーヒーを入れた。
 舞は心霊研究会に入会したわけでもないのに、放課後になると何故か毎日のように物理準備室にやってきた。もっとも会員以外でも卓巳の授業を受けている生徒や、沙織や裕香の友達が遊びにくる事はある。けれどもほとんどが二、三年生で、一年生は舞だけだった。
「もう部活は決めた?」
 心配になって卓巳は舞に訊ねた。
 この部屋で沙織と出くわすたびに舞は勧誘を受けている。また、その勧誘のしかたがひどい。
「あなたは絶対にうちむきよ」
 とか、
「ぜひ、うちのマスコットキャラクターになって」
 とか、
「いるだけで雰囲気出るから」
 とか、完全に幽霊扱いだ。失礼極まりない。
 だが、人のことは言えないと卓巳は思った。さすがに沙織のように言葉にはしないが、卓巳も思っている事ではあるのだ。それに関して、卓巳は成海大学時代に調べた個人を識別する脳のメカニズムについての学説をふと思い出していた。
 人が個人を顔で識別できるのは顔ニューロンの働きによるというのが、現在最も有力視されている説である。
 人は物体の形状の違いを識別する時に使う脳の部位と、他の物体に比べて形状の違いがわずかである顔の識別に使う脳の部位は場所が違うという。そのため表情や髪型のような大きな違いが生じても、人は個人を特定できる。それが顔ニューロンの働きである。
 けれども顔ニューロンの部位を取り除いた実験動物に、一度失った個体の識別能力が復活したという実験結果もある。脳の他の部位が顔ニューロンの代わりをしているのか、それとも他の能力を駆使して個体を識別しているのか不明で、まだ不確かな部分も多く残されている。
 ある学者によれば、人は個人の識別を顔ニューロンのみで行っているのではなく、他の能力も使い総合的に行っているという。そして、自分にとって重要な人間や繰り返し会う人ほど顔ニューロンによる識別の比率が高くなっていくという。
 その学者によると、認知心理学において人は個人を識別して脳に収める場合、名前や肩書きや自分との関係などの付加情報と、実際に会ったり写真を見たときに照らし合わせる識別情報を、データベースのように関連付けて記憶しているという。その際の識別情報は顔を画像として100パーセント記憶しているわけではない。一時的に画像として記憶されたりもするが、初めて見た顔などはデータベースに収める必要がなければ忘れ去られる。データベースに収める必要がある場合には、顔に有るその個人を特定できる特徴、言ってみれば符号のようなもののみを記憶し、初対面で関心の無い人ほどその情報量は少なく、頻繁に会ったり自分にとって良くも悪くも重要な人ほどその情報は補完されていって識別精度が上がるという。さらに顔に限らず体型や声や仕草や雰囲気や常に身に着けているものなどの中にも個人を特定する符号があるのだそうだ。
 卓巳が三年ぶりに舞と再会した時、前髪のせいで顔もちゃんと見たことがないし制服も違っていたのに舞だとわかったのは、その幽霊に見間違えるほどの特異な見た目と雰囲気のせいだ。つまり「幽霊のよう」という符号で卓巳は舞を識別していることになる。充分失礼だと言えよう。
 ところが舞はそういった事を全く気にしていない様子だった。慣れているのかもしれなかった。
 卓巳の「部活は決めたのか」という質問に舞は答えた。
「まだ悩んでいます」
 悩んでいると言うわりには部活動見学に行くわけでもないし体験入部をするわけでもない。
「中学のときは何してたの?」
「手芸部です」
「んー。うちの高校に手芸部はないなあ。料理研究会ならあるけど」
「料理はわたしには日常ですので。姉と二人なもので」
「そっか。じゃあ、いっそ体育系なんてどう?テニス部なんて、うちはけっこう強いよ」
「テニス部ですか?」
「うちのテニス部のユニフォームはすごく可愛いよ。君に似合うんじゃないかな」
 卓巳は心にも無い事を言った。この雰囲気の舞に可愛いユニフォームを着せた姿なんて想像もできない。
「先生はテニス、好きなんですか?」
「いや、特に好きってわけじゃないけど、ここからテニスコートがよく見えるんだよ」
 舞は首を伸ばして窓のほうを見た。けれども2階のこの部屋からだと窓際まで行かなければテニスコートは見えない。
「いつも見てるんですか?」
「ああ」
 言ってから、卓巳は慌てて言い直した。
「いや、いつもって訳じゃないけど。気が向いた時だけ。けして変な意味ではなく」
「変な意味って何ですか」
「こう、ほら。いやらしい目で見てるとか、そういうんじゃなく、あくまでも他の部活動を見るついでに」
 しどろもどろだ。余計に言い訳がましいと卓巳は思ったが、今さら仕方がない。
 ところが舞はそれに気付いた様子もなく、おもむろに言った。
「わたし、物理部に入りたかったんです」
 意外だった。卓巳の目からは舞と物理が結びつかない。
「残念ながら物理部はないなあ。化学部とか地学部とか生物部ならあるんだけどな」
「いえ、物理じゃなきゃダメなんです」
「ふーん。物理のどんな事がやりたいの?」
 舞は前髪の隙間から卓巳をじっと見つめて、はっきりと言った。
「心霊物理学です」
「・・・・・・」
 まさか、その為にこの高校に入学したのだろうか。卓巳は冷静に、けれども冷たく突き放すみたいにならないよう気をつけながら言った。
「もう心霊物理学の研究者はいないよ」
「はい・・・」
 舞は静かに下を向いた。
 しばらく沈黙が続いた。校庭の方からは部活動の声が聞こえてくる。
「先生、先生、先生、先生」
 静寂を破って沙織が入ってきた。
「聞いて、聞いて、聞いて、聞いて」
「何だ、何だ、何だ、何だ。やかましい」
 沙織の後ろには裕香もいた。
 沙織は明らかに興奮していた。
「確かな筋からの情報なんだけと、ドッペルゲンガーに会った人がいるのよ」
「なんだ、藪から棒に。確かな筋って?」
「2組の島田さんのお兄さんの友達の後輩が成海駅近くで自分に会ったんだって」
 どの辺の筋が確かなんだろうか。
「2組の島田さんて仲がいいのか?」
「ううん。初めて話した」
 ますます信憑性が無い。
「まさか成海駅で張り込もうってわけじゃないだろうな」
「それも考えたけど・・・」
(考えたのかよ)
「それより会った本人に訊いたほうが早いと思って。住所聞いてきたわ。新成海駅に近いみたいだから、今から行ったって問題ないでしょ」
 手際だけはいい。
「じゃあ二人だけで行ってこいよ」
「先生も行くの」
「冗談だろ。授業の準備がまだあるんだよ」
「あたし達が入ってきたときには舞ちゃんと一緒にずいぶんまったりしてたじゃない」
「一休みしてただけだ」
「じゃあ、なに?あたしと裕香が知らない男の家で襲われてもいいっていうの?」
「こっちから押しかけて行くくせに、相手に対してずいぶん失礼な言い様だな。それに相手は一人だろ」
「ドッペルゲンガーと二人で襲ってきたらどうするのよ」
 ドッペルゲンガーは分身の術かよ、と言おうとして卓巳はやめた。沙織とこういう漫才チックなやりとりに陥ったときの勝率は非常に低い。精神的な疲れをまねく前に、さっさと白旗をあげたほうが得策といえた。
「ちょっと待ってろ。支度するから」




テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

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