次の日は朝からどんよりしていた。それは放課後になっても変わらなかった。
舞は授業が終わるとすぐに学校を出た。今日はマジックニードルに寄ってT・Hセンセが卓巳でないことを確かめなければならない。
八実駅で電車を降りるといつもなら南口へ出るのだが、今日は初めて北口へ出た。南口よりは静かだったが小さな商店街はあるようだ。その商店街からちょっと外れた変な場所にマジックニードルはあった。
中に入ると十五坪程の店内に手芸用品がぎっしり並んでいる。立地のわりに流行っているのか、客らしき女性が3人いた。ところが店主らしい人物はどこにもいない。舞はしばらく待つ事にした。
もともと舞は手芸が好きだった。中学のときは手芸部にいたくらいだ。中学を卒業してからは、しばらく手芸から遠ざかっていた舞だったが、所狭しと並ぶ手芸用品を見ていたら地味にだがテンションは上がっていた。舞は棚卸しでもするかのように、端からじっくりと店内を見て回った。
「降ってきちゃったぁ」
ハンカチで頭を拭きながら若い女性がひとり入ってきた。とうとう雨が降りだしたらしい。
入ってきた女性は店内にいる客たちを見回すと当たり前のように言った。
「傘、持ってなかったら入り口に置いてあるビニール傘を使ってね」
どうやら、この女性が店主らしい。清楚な感じの服装だが、笑顔は陽気で気さくなお姉さんといった感じだ。
「あのー」
舞は恐る恐る声をかけた。勇気は必要だったが、とにかく卓巳の無実を証明しなければならない。
「訊きたい事があるんですが」
「なに?」
女性は優しい顔で訊き返してきた。舞はどきどきしながらも、はっきりと言った。
「成海大学の先生についてなんですが」
女性はちょっと驚いた顔をしたが、そのあと何かを納得したようにひとつ頷くと手招きをしながら「こっち、こっち」と奥へ誘った。
店の奥には狭い部屋があり、部屋の角にはノートパソコンの置かれた事務机、中央には作業台にしているらしいミシンの置かれた大きいテーブルと椅子、壁際には商品の詰め込まれた棚と積み上げられたダンボール箱がある。事務所兼倉庫といった感じだ。狭い中に物はいっぱいだが、きれいに整頓されていた。
女性は舞を作業台横の椅子に座らせ、事務机の隣にあるコーヒーサーバーからカップにコーヒーを注ぎながら訊いた。
「砂糖とミルクは?」
「あ、お構いなく」
「高校生が遠慮しないの」
女性は、受け皿にシュガースティックとミルクポーションをのせたコーヒーを舞の前に置き、自分用の大きなマグカップのコーヒーを啜りながら向かい側に座って言った。
「油断したわ」
「えっ?」
「降るかなとは思ってたけど、傘持っていくの邪魔でさ」
「はあ」
「ほら、行って帰ってくるだけだから持つかと思って。どうしてもたい焼きが食べたくなっちゃってさ」
「はあ」
「でも休みだったのよ、むらかみ」
むらかみとは南口駅前にある古い建物のたい焼き屋だ。姉のお土産で舞も一度だけ食べたことがある。おいしいが、わざわざそれだけの為に北口のこっち側から駅越えをしてまで買いにいくほど絶品というわけでもない。
「今日って火曜日だったっけ」
「はい」
「むらかみって火曜日が休みだったのよねえ。馬鹿みたい、あたし。ねっ」
ねって言われても、はいとは言えない。
女性は何かに気付いたように言った。
「あ、ごめんね。勝手に喋ってて」
ようやく用件の話ができると舞は思ったが、女性は言った。
「あたしは栗田かすみって言います。ここのオーナーよ」
「あ。小日向舞です」
「舞ちゃんね。舞ちゃん、手芸に興味あるでしょ」
「え、ええ。どうしてわかるんですか?」
「さっき型紙を熱心に見てたから、そうじゃないかなって思ったのよね」
「よく見てますね」
「だって初めての顔だもん。他はみんな常連だから」
栗田かすみはそう言いながら顔を店の方へ向けた。ごめんねと言った割には、なかなか用件の話にならない。
そう思って舞から切り出そうとしたところで、かすみは唐突に言った。
「彼の生徒でしょ」
彼というのはT・Hセンセに違いないが、学校帰りの舞は高校の制服を着ている。T・Hセンセが卓巳とは別人と考えるならば、かすみの言葉からT・Hセンセも今は高校の教師をしているという事になる。でも、そんな偶然は考えにくい。
真実を知る事の恐怖を覚えながら、舞はそれでも訊いた。
「彼って誰のことですか?」
「平原卓巳よ。あれ?違うの?」
舞は死刑宣告でも受けた気分になった。頭が混乱していた。確信を裏切ってT・Hセンセは卓巳に違いなかった。そして卓巳は被害者である女子学生を桜の木の下に誘い、その後、彼女は行方不明。五年後に卓巳自身の手で死体として発見された。状況はおおむね卓巳を犯人と言っている。でも、そんな事は絶対にあり得ない。そう強く思いながらも、かすみの再度の「違うの?」の問いに弱々しく答えた。
「いえ、違わなくないです」
かすみは大喜びをした。
「やっぱりねえ。彼が大学をクビ・・・じゃなくて辞めて高校の先生になった事は聞いてたのよね」
「あの・・・」
「彼、殺人犯じゃないかって疑われてるんだってね」
「知ってるんですか?」
「うん、まあ。ここに警察来たからね」
それはそうだと舞は思った。T・Hセンセを特定しようとしてここに来た自分の考えなんか、警察はとっくに思いついている筈だ。
「何を訊かれたんですか?」
「んー、あたしが平原卓巳の恋人かって事と、その被害者の子がうちに来たかって事」
複雑な思いで舞は訊ねた。
「何て答えたんですか?」
「ひとつ目の質問には、ただの幼なじみですって答えたわ」
予想外の答えに、舞は驚いた声をあげた。
「幼なじみなんですか?」
「そうよ。同級生」
同級生だとしたら卓巳の歳から考えて三十二歳前後の筈であるが、かすみは若く見える。
「警察は何て?」
「別に。それだけで充分だったみたいよ」
T・Hセンセが卓巳だとわかれば、それでよかったのだろう。
「ふたつ目の質問には何て答えたんですか?」
「来たって答えたわ。何を話したかって訊かれたから、彼の好みのタイプとか、萌えどころとかを教えたって答えたわよ。正直、五年も前の事でしょ。はっきりとは覚えてないのよねえ。あはは」
かすみが相変わらず笑っているので、舞は少しカチンときた。
「心配はしないんですか?幼なじみですよね」
するとかすみはあっけらかんと言った。
「あれ?だって犯人のわけないでしょ。彼が」
「そ、そうですけど・・・」
かすみが確信を持って言ったのは、何でもわかっている幼なじみだからだろうか。
「あー、そうか」
急にかすみは何かに気付いたように声を上げた。かすみは思い切りニヤついた顔で、子供のようにワクワクした様子で訊いた。
「もしかしてさ、舞ちゃんて彼のこと好きなの?ああ、そうよね。好きじゃなかったら、わざわざこんな所まで調べに来ないもんね」
「ち、違います」
心配するのは好きとかどうとかとは関係ないじゃないかと舞は思う。
「昨日は先輩と一緒に警察まで行ったんです。でも門前払いだったんです。そのあとあなたの事を知ったんですが、先生の恋人だっていうからあまり人に知られないほうがいいのかと思いまして、先輩には知らせずに一人で来ました。それに、わざわざ来たわけじゃなくて、家が近いからついでです。あくまでついでに来たんです」
「あら、そう。高校教師と女生徒の禁断の恋かと思って期待したのに、ちぇっ、つまんない」
かすみは本当につまらなそうだ。けれども、かすみはすぐに優しく笑って言った。
「心配しなくても、すぐに帰してもらえるわよ」
「でもブログが・・・」
被害者のブログの最後の部分は立派な状況証拠になる。
「ブログ?ブログって?」
警察はかすみに質問をするだけして帰ったらしい。かすみが何があったのかを訊いても、卓巳を女子学生殺しの疑いで捕まえたという事しか教えてくれなかったそうだ。当然だろう。
舞は自分の知っていることをかすみに説明した。それで事務机のパソコンからブログを見ることになった。
途中、店のほうに呼ばれて接客などしながら、かすみはブログを最後までざっと読んだ。そして大きく深呼吸をした。
「なるほどねえ。こういうことか」
「どう思いますか?ほんとに彼女を誘ったんでしょうか、先生は」
「誘ったかもねえ。彼、変態だし」
かすみがさらりと言うものだから、あまり冗談に聞こえない。冗談なら「ど変態」とか「どスケベ」といった極端な言葉を使って笑いながら言ってほしいと舞は思う。
「先生が犯人かもしれないって思うんですか?」
「そうじゃないわよ。でも何か関わってるのかも・・・・・・ん?」
かすみは何かに気付いたようにブログを見直した。
「あれ?」
「どうしたんですか?」
「ちょっと、ちょっと待って」
そう言うと、かすみはメールソフトを立ち上げて一通の過去のメールを捜し出した。
「やっぱり」
「何ですか?」
「このブログのT・Hセンセからのお誘いの手紙をもらったっていう日、この日は彼のお母さんが亡くなった日よ」
「えっ」
「十月五日ってあたしの誕生日の次の日だから覚えてたのよね」
舞の声音がぱっと明るくなった。
「お母さんが亡くなった日に女なんか誘うわけないから、誘ったのは別人ってことですね」
「それだけじゃなくて、彼、危篤のお母さんに会いに三日ぐらい前には実家に帰ってたはずだし、亡くなった当日にあたしがすっ飛んで帰った時には、彼、家にいたもん。被害者が待ち合わせしていたっていう次の日なんか、ずっといたしね。葬儀が完全に終わるまでは、いたと思うよ。彼のお父さんに確認すれば、すぐにわかるはず。だから別人が彼のふりして呼び出したんじゃないかな。たぶん犯人が」
「アリバイ成立じゃないですか。本人気付いてないんでしょうか」
「取調べなんてされてテンパってるんじゃない?強がりで見栄っ張りのくせに、けっこう気が小さいのよ」
舞にもなんとなくわかる気がする。
かすみはゆっくり立ち上がった。
「あたし、警察行ってくるわ」
舞は慌てて立ち上がった。
「あ、あの、あの、わたしがここに来た事は先生に言わないでください」
「なんで?」
「生徒に疑われて調べられたなんて、いい気分じゃないです」
「だって、疑ってなんかいないでしょ」
「それでも・・・」
「わかったわ。言わない」
二人で店の外に出ると雨は本降りになっていた。思ったよりも寒くない。
かすみは車の鍵を頭の横で鈴のように振った。
「家どこ?送ってくわ」
「いいです。うち、駅向こうなので近いんです」
「あら、そうなの。でも濡れちゃうから」
「いえ、駅前で夕食の買い物をしたいですし」
「そう。じゃ、はい」
かすみは舞にビニール傘を差し出した。
「ありがとうございます」
舞は鞄の中に折り畳み傘を入れていたが、車を断った上にまた断るのは悪い気がしてビニール傘を受け取った。
「近いなら、また遊びに来れるわよね」
かすみは人懐っこい顔で言った。
「はい。今度はゆっくりお店の中、見せていただきます」
舞も屈託のない笑顔で答えたつもりだが、前髪のせいで口元しかわからない。



